4.浅間天仁大規模噴火(西暦1108年)Large-scale Eruption of Ten-nin Era (1108 A.D.) 高橋正樹・安井真也・竹本弘幸(日本大学文理学部地球システム科学教室)
4-1 降下軽石(As-B)プリニー式の天仁大規模噴火はB降下軽石の噴出に始まる.降下軽石の分布主軸に近い火口から東南東約7kmの地点では,最下位に厚さ数mmの火山砂層がみられ,噴火がブルカノ式から始まったことを示している.まもなく噴煙柱はおそらく20km以上にまで上昇し,東方にひろがって大量の軽石を降下させた(図4-1).B降下軽石中には時間間隙を示す証拠はほとんどみられず,数日間といった比較的短期間に堆積した可能性が高い.途中に岩片を含む薄い火山砂層が複数枚挟まれるので,噴火中に噴火の勢いが弱まってブルカノ式噴火に移行した時期もあったらしい.B降下軽石の噴出に後れて追分火砕流の流出があった. 4-2 追分火砕流追分火砕流は浅間前掛火山では最大規模の火砕流であり,火口から15kmの地点にまで到達し,北は吾妻川,南は湯川に流れ込んでいる(図4-1).追分火砕流は多数のユニットからなり,一部は溶結している.火砕流は丸みを帯びた長径1m以内のキャベツ大の本質岩片と火山砂からなるマトリックスから構成される(図4-3).火砕流の噴出は,おそらく数日以内といった比較的短期間に終了したものと思われる.度重なる火砕流流出の後半期に,一部の火砕流ユニットを覆って上舞台溶岩が流下したものと思われる. 4-3 上舞台溶岩上舞台溶岩は通常の溶岩ではなく,強く溶結した火砕岩と弱溶結の火砕岩の互層からなるいわば火砕丘そのものである(図4-3).噴煙柱から降下した火砕物が火口周辺に急速に堆積することで形成された一部溶結した火砕丘が,重力的に不安定になって再流動したものが上舞台溶岩の実体である.「溶岩」を構成する火砕岩層は火口方向に向かって傾斜しているが,これは火砕岩層が山体斜面を流動する際に,流下方向にのし上げるようにして移動したためであろう.B降下軽石と追分火砕流の噴出によって形成された火砕丘の上部は噴出直後に陥没し,現在の前掛火口が形成されたものと考えられる. 4-4 B'降下軽石堆積物大型の前掛陥没火口形成後,おそらく数年以上にわたって火口からブルカノ式噴火が相次いだ.このブルカノ式噴火はかなり激しいもので,大量の火山砂を降下させた.この時の火山砂は赤色火山灰層として残されている(図4-4).その後,赤色火山灰層の上面がやや侵食され軽微な不整合が形成される程度の時間をおいて,再び大規模な降下軽石の噴出が始まった.これがB'降下軽石である.B'降下軽石を降らせた噴煙柱も高度20kmあまりにまで上昇した可能性が高く,この噴煙は風に流されて東北方向にたなびいて多量の軽石をこの方面に降下させた(図4-1).場所によってはこの降下軽石層の直上に火山豆石をもつやや厚い火山砂層が堆積しており,最初の軽石噴火の直後に火口内でマグマ水蒸気爆発が連続して生じた可能性がある.さらに再び降下軽石の活動が活発になり,軽石には縞状軽石が卓越するようになる.活動の末期には,軽石がスコリアに変化し,火砕流も流下するようになる.この火砕流は小規模で,その到達範囲は火口から4km以内にとどまっている. B'降下軽石の噴出後,再びブルカノ式噴火が生じて火山砂が堆積している.B'降下軽石噴火によって天仁陥没火口内に新たな溶結火砕丘が形成されたものと推定される.これが古記録に残る古釜山火砕丘と考えられる. 仮に天仁噴火クラスの大規模噴火が現在起きたとすると,広範囲にわたってきわめて大きな被害をもたらすであろう.特に追分火砕流堆積物に覆われている群馬県長野原町,嬬恋村,長野県軽井沢町,御代田町のかなりの部分および小諸市の一部の地域などは再び壊滅的な被害を被ることになる.1万年に1回程度の稀な出来事とはいえ,追分火砕流がもたらした火山災害については,十分なシミュレーションを行っておく必要があるかもしれない.
↑このページの最初へ
|
目 次 |
||||
*画像をクリックすると,新しいウィンドウで大きくしてご覧になれます. :最新情報 :新しいウィンドウが開きます. :外部にリンクしています.新しいウィンドウで開きます. |