火山のめぐみ

■地熱発電とは

 

日本は世界有数の火山地帯のため、火山の熱資源を利用した地熱発電が各地で行われています。地熱発電は、地下の天然蒸気を取り出してタービンを回転させ発電を行うシステムで、純国産で無公害なクリーンエネルギーです。

地熱発電所全景
地熱発電所全景
(東北電力株式会社火力部提供)

 

■地熱発電のしくみ

 
発電の候補となる火山付近は一般に風光明媚な国立公園内に位置することが多いため、開発の際には自然景観との調和をはかるなど周辺環境への影響を十分考慮して行う必要があります。事前に入念な地質調査を行って、地下の地質構造、熱構造を確認し、発電能力を調査するためにボーリング孔を使った噴気テスト等を行います。
地熱発電設備のうち、生産井は地下から高温の蒸気を直接取り出す、大孔径(口元で60センチ位)のボーリング井戸のことです。ここには発電に利用される蒸気以外にも熱水が含まれていますが、これらは二送流配管(蒸気と熱水を一緒に送る管)を通った後、気水分離器に送られ、ここで蒸気と熱水が分離され熱水だけが還元井を通って地下に戻されます。
取り出された高熱の蒸気は蒸気配管を通してタービンに送られ、熱エネルギーを有効に活用するために排気蒸気は冷却します。排気蒸気は冷却すると体積が急に小さくなり、高い真空度が得られタービンの熱効率が上がるからです。
サイレンサーは蒸気を直接大気へ放出すると大きな騒音が発生するので、環境対策への配慮から減音させる設備のことです。
地熱発電は熱水は地下に戻しますが、その一部はハウス栽培、暖房、道路融雪などに利用されています。
このように火山は自然災害をもたらすだけでなく、身に見えないところで火山の恵みと共存する道もあるのです。

地熱発電所イメージ
地熱発電所のイメージ


火山が噴火すると温泉が湧く

■温泉国日本

 

日本は火山国であると同じに温泉国でもあります。環境庁(現環境省)の調べによると1800の市町村で2400の温泉地があります。
源泉総数は23000もあり、その内訳をみると25度未満の冷温源泉が3100、25〜42度未満の微温源泉が5200、42度以上の高温源泉が11500、水蒸気ガス源泉が1000、利用していないために不明の源泉が2300あります。総湧出量は毎分2,300,000リットルに達し、温泉宿泊施設が全国で15000もあります。
ところが最近開発された温泉のほとんどは、地下探索技術や掘削技術が著しく向上したこともあり、地下深くなるほど地下水の温度が高くなることに目をつけて、ボーリングして掘り当てたものが多くなっています。
このため必ずしも火山に起因しない温泉の割合も増えています。

 

■火山の噴火により誕生した温泉地

1986年11月15日の夕刻、突如として三原山が噴火しました。21日には割れ目噴火が始まり、カルデラの外の外輪山の斜面にも波及したため約120000人の全大島町民が島外へ避難することになりました。
この噴火の後、元町小清水にある上水道用井戸の地下水温が上昇しはじめ、約2年後には59度に達し、ナトリウム塩化物温泉が誕生しました。2軒の旅館がボーリングしたところ、54度と44度の温泉が湧出しました。
東京都大島町にある温泉は1989年度までは2つの源泉で温泉旅館は泉津地区の一軒のみでしたが、1991年度には元町地区で新たに3つの源泉が加わり、現在ではボーリングにより更に4つの源泉が加わっています。
三原山の噴火語後、元町地区に3つの温泉旅館と3つの温泉浴場が誕生したことになります。
伊豆大島火山噴火
1986年伊豆大島火山噴火
(写真;遠藤邦彦(日本大学文理学部)提供)
澄川温泉
秋田県澄川温泉(写真;陶野邦雄提供)
吹き出している蒸気を利用して自炊をしている湯治客が沢山いる。

火山と信仰

■山岳信仰

わが国では古代より奥山・高山を白き神々の座、あるいは神そのものとして崇め,恐れ敬う考え方がありました。山岳信仰の始まりです。
平安時代に入り、真言宗や天台宗の僧侶は厳しい修行の場を求めて険しい山岳地に入るようになりました。山伏による修験道の始まりです。
噴煙が上がったり硫黄やガスの出るところを地獄と呼び、地獄と極楽が表現される景観を備えていることから、恐山、立山、雲仙岳といった火山がその対象となることが多かったようです。

山岳宗教は一時すたれましたが、全国に道が整備され容易に旅ができるようになった江戸時代後期には、山岳信仰の講として発達しました。最盛期には全国で500以上の講ができたと言われています。最も盛んに発達した講に富士信仰、木曽御嶽信仰等があり、その他出羽三山、蔵王山、浅間山等々、わが国の主な火山は殆どが信仰の対象となっていきました。
これらの講は霊山登拝と奉加寄進の組織で、東密系、台密系の山伏によって霊場と結び付けられ信者の組織化がはかられ、修験系の呪術・祈祷の行法によっても信者を集めるようになりました。そして、天保期には富士講は江戸八百八講と呼ばれるほど繁栄をみるようになりました。この富士講は江戸の商工民を中心とする登拝・寄進の組織であると同時に、同業者の相互扶助組織としての性格をもって近隣の寺社に小富士を築いて登拝していました。

これに対し幕府は、富士講が神仏儒のどちらともつかず、町人・農民の自主的組織として発達するのを恐れて禁令を出し、押さえにかかりました。

これらの山々は現在、登山の対象となったり観光地化・名勝化しているところが多いのですが、内容に程度の差はあるものの、そのまま信仰の対象になっています。

地元の人々に崇め親しまれている岩木山神社
(写真;陶野郁雄提供)
御嶽山
御嶽山、山頂付近に祀られている信仰モニュメント
(写真;小坂丈予(東京工業大学名誉教授)提供)